バランタインと白いガチョウ

バランタインの貯蔵庫は、最新式の電子警報装置、24時間体制のガードマン、そして白色のシナガチョウの群れに守られている。

熟成庫の警備隊「ガードバード」

 

スコッチ・ウォッチ

獰猛な白ガチョウで編成された群れはスコッチ・ウォッチと呼ばれ、日夜バランタイン蒸留所の番をしているのだ。警備団を構成するガチョウの種類は中国系のシナガチョウ。アジアでも広く飼われている種類で、日本でもよく見かける白いガチョウだという。

ガチョウたちの警戒心は非常に強く、見ず知らずの人や動物を見ると大声で騒ぎ立てる姿は、番犬以上にしっかりと役目を果たしているらしい。

2018年5月20日に放送された「世界の果てまでイッテQ」

その

世界の果てまでイッテQ!

番組中のいとうあさこさんのミステリーツアーではオランダのガチョウのマーチングバンドが取り上げられていました!!

列をなして後をついていく姿がなんとも健気、、、

しかし、先頭を歩いていたのが別人だとわかると急に鳴き出すガチョウたち

警戒心が強いというのは本当だった!!

100羽のガチョウが警備を任されるのも当然だなぁ

 

このようにガチョウの警戒心の強さ、そして警備能力は、ローマ時代からよく知られており、ローマ軍がケルト人の夜襲から砦を守るためにガチョウをかっていたという、紀元前の伝説が元になっている。

ウィスキー工場から出る不要な穀物を与えられる代わりに、ガチョウたちは貴重な原酒モルトをしっかりと守っているのである。

 

はじまりは1959年、スコットランド中から集められたバランタインの原酒樽を保管するための熟成庫が建てられたときに、当時の社長が思いついたアイデアだった。

 

しかし、天敵のキツネにはめっぽう弱く、年間数十羽が命を落としてしまっているらしい。

バランタイン

バランタインの特徴

スタンダードのものから熟成年数の高いものまで、幅広く揃えている。

1895年  ヴィクトリア女王より王室御用達の名誉が授けられる。

1938年  ダンバートン蒸留所開設

 

バランタイン17年

アードベッグをはじめとした超一級のモルトを使っている。

1953年エリザベス女王戴冠式の年、初めて東京で発売されて以来、その繊細な味わいから日本人に特に根強い人気を誇っている。

 

バランタイン30年

スコッチの最高品といわれる。長期熟成による深見は芸術の域に達する。

年間で2500ケースしかボトリングされない限定品。

 

バランタイン・ロイヤルブルー12年

先代マスターブレンダ―、ジャック・ガウディ―が最後につくったウィスキー。50種類以上のモルト原酒が使われており、なめらかで洗練された味わい。

 

バランタイン・ファイネスト

スタンダードなスコッチ・ウィスキーのベストセラーである。スコットランド各地から40種類以上のモルト・ウィスキーを集めてブレンドされている。

 

ウィスキーの小ネタ1

カラメルによる色付け

多くのウィスキー・メーカーは瓶詰めの前にカラメル色素でウィスキーに色を付けている。これは、ふたつの樽の熟成が厳密には同じにならないからだという。

あるウィスキー10年ものの樽からでたウィスキーと、もうひとつのウィスキー10年ものの樽からでたウィスキーと同じ色にはならない、だからやむを得ないというのが、ウィスキー業者の言い分である。

消費者を混乱させないために、どのウィスキーの瓶もまったく同じに見えるようにカラメル色素が用いられているというわけである。

その反面、色を付けることは、ウィスキーの色が濃いほど古くて味がいいというよくある誤解を助長することにもなる。

濾過の良しあし

瓶詰の前にウィスキーをフィルターに通し、ろ過することで樽の炭化成分が取り除かれる。同時に脂肪酸エステルも取り除かれている。これらの物質は、飲むときに水や氷を加えるとウィスキーが曇った色に見える原因である。

濾過することで、見栄えをよくするためにウィスキーの微妙な風味を犠牲にしているのではないかとも言われている。

 

 

 

 

メーカーズマーク

1959年に誕生したブランド

蒸留所を設立してから4代目のビル・サミュエルズ・シニアは、洗練されたバーボンを作ろうと奮起する。通常のライ麦ではなく冬小麦を使う独自の製法で、6年越しの理想を実現させた。上質の証として、ボトルに赤い封蝋を施したのは、妻マージ―のアイデア

ポリシーは「最高の材料を使って人の手により少量生産する」ということ

今でも一本一本手作業で封蝋されている。 

この蒸留所を訪れた人は、自分個人のメーカーズ・マークの瓶を作ることができる。名前と日付を記し、瓶の首を熱いロウの大桶に手で浸すのだ。

ジャックダニエル

1863年、わずか13歳のジャックダニエルがお世話になった牧師のダン・コールから蒸留所を買い取ったのが始まりである。

現在でも創業当時のチャコール・メローイング製法(ウィスキーをサトウカエデの木炭の濾過槽で濾過する手法)を守り、独自の豊かでなめらかな味わいを生み出している。

 

ジャックダニエルパラドックス

ジャック・ダニエルのテネシー州リンチバーグの蒸留所のパラドックス

ジャック・ダニエルを製造する蒸留所には、何十万人もの観光客が訪れる。

しかし、蒸留所を訪れた人々はこの蒸留所ではウィスキーを1瓶も買うことができない。蒸留所はムーア郡にあり、ここはドライ郡というアルコールの販売が禁止された場所であるからだ。ムーア郡はアメリカに500程あるドライ郡の一つである。

そもそも、このような地区が制定されたのは、禁酒法時代に質の悪いお酒が出回ったことにより死者や神経障害を患ったことが原因である。

現に、アメリカ50州のうち14州ではいまだにサバス「安息日」の酒類販売が禁じられている。

カナディアンクラブ

1856年、オンタリオ州に設立

 

アメリカ各地のジェントルメンズ・クラブで人気が出たため、クラブ・ウィスキーと名付けられた。あまりに人気が沸騰したため、バーボン業者からアメリカ産と区別するように政府に要請があった。アメリカ産と区別するためにカナディアン・クラブと改名された。

ブラックラベルは日本限定

カナディアンウィスキー

カナディアンウィスキーの歴史

アメリカ独立戦争後、独立に批判的だった英国系移民がカナダに移住し、カナダでもウィスキーが作られるようになった。

1920年代アメリカの禁酒法時代になると、カナダからアメリカに密輸され広く飲まれるようになった。アメリカ北部の住人は国境を越えてウィスキーを飲みに行ったという。そして、カナディアン・ウィスキーもアメリカに流れ込むようになった。

大量のカナダのビールとウィスキーが車で運ばれている。カナダのオンタリオ州アマーストバーグから、デトロイト川の下流を渡り、ミシガン川の国境線へ…          (1930年2月 AP通信のレポートより)

 初期の開拓移民の多くであったスコットランド出身の人々を中心に、カナダでも18世紀ごろからウィスキーは作られた。さらに19世紀になると、カナダの蒸留所も工業化が進み、巨大なウィスキー工場が建てられた。

カナディアンウィスキーの特徴

軽快で、クセがなく、飲みやすい味わい

  • フレーバリング・ウィスキー

  ライ麦ライ麦麦芽、大麦麦芽などが主原料

  • ベース・ウィスキー

  トウモロコシを主原料に連続式蒸留器で蒸留される

これらをブレンドすることにより、カナディアンウィスキーに特徴的な飲みやすいウィスキーを実現している。